| (歴史的見地による)今治観光案内 (資料を参考に 歴史家ではない素人が書いた観光案内です、至らぬ点何卒ご了承くださいませ・・・) |
文・・・テンつま’s実家の母(ボランティアガイド 『矢野』) 写真・・テンつま’s実家の父 &テンつま&次男 ページ構成・・・テンつまこと 中村ゆかり (中村屋蒲鉾店) |
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![]() しまなみ海道・来島大橋 (マウスを当ててみて下さい) |
しまなみ海道、来島海峡大橋に象徴されますように、今治(伊予の府中)は海の十字路に面しておりますため、古来より国を守るために重要なところでした。救援を求めてきた百済とともに、大和朝廷が新羅と戦った”白村江の戦い”も、伊予の国で船団を整え百済に船出をしています。万葉集に収められた額田王の歌、<にぎたつに船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎいでな>は、このときの作です。にぎたつは伊予の浦ですが、諸説あるため場所の特定が出来ていません。 また府中(今治)は有数の港湾が海岸部に発達する一方、平野部を南海道が貫通しており、水陸交通の要に位置する経済的な中核都市でありました。 |
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| その様から播磨と並び、日本最高位の国府であった伊予の府中、今治は、国分寺に七重の塔跡もあり、また国府の周辺には古代の製鉄所である多々良団地跡(6〜7世紀)が在り、北部来島海峡望む『相の谷前方後円墳』(4世紀、全長82メートル県下最大。海上交通を意識した大王の墓で、小千乃命の墓といわれている。)や、西部斎灘を見下ろす『妙見山前方後円墳』(5世紀?全長56メートル弱、怒麻国王、若弥尾の命の墓といわれている。)を始め、たくさんの古墳群や、高級官吏の住居跡と思われる古代の掘っ立て式住居跡が、たくさん発掘されています。伊予府中(今治)は、国の要衝として大和朝廷から高級官吏が送り込まれた一大文化都市でありました。古代末から中世にかけてたくさんの宗教施設(式内社県下25社中府中8社在)と、それにともなう儀式に不可欠な楽人やさまざまな楽所がたくさんあり、府中(今治)地域は多様な芸能民の活動の舞台でもありました。また11世紀〜12世紀(平安末期)頃には、大国と目されるようになりました。 | ![]() 藤山公園 (妙見山古墳) |
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![]() 義経が滞在したといわれる衣干神社跡 ![]() 鎌倉時代の巨大石塔郡(野間地区) ![]() 渦潮 (マウスを当ててみてください) |
また源平合戦で義経を勝利に導いた、伊予の豪族河野通信の生誕の地でもあります。 義経は、屋島の合戦の後、壇ノ浦の合戦までの1ヶ月間を府中(今治)にとどまり、河野氏率いる伊予の水軍と、その配下の武将たちを伴って出陣しています。 その後、蒙古の襲来の時(鎌倉)、築地の前に陣を張り蒙古の上陸を食い止めた河野通有も、伊予の将であります。鎌倉時代の守護所は府中(今治)にありました。中世前期の国重要文化財指定石造塔が、全国171基中、野間地区に16基、島嶼部に5基在と当地方に集中しています。鎌倉時代の巨大石塔郡は時代のロマンを感じさせます。 北部の波止浜湾は、古来筥潟湾と呼ばれ、帆船の潮待ち、風待ちの港として栄え、西行法師は『筥潟や急ぎ来つる君や知る 二また潮はみつやみたずや』と詠みました。戦国時代来島水軍の船溜りとして使用され、近世には上方はもとより、江戸や北陸等から塩を買いに来る千石船の港となり、伊予の小京都といわれました。 |
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| 現在は、日本一の海事都市『今治』の造船工業地帯として栄えております。巨大船が浮かび、巨大クレーンが立ち並ぶ湾は壮観です。進水式も見ることができます。 日本三大潮流の一つである来島海峡の、最高10ノットにもなる潮流と渦潮の中に来島村上水軍城跡のある来島と、近代の城、芸予要塞跡のある小島があります。見逃せないスポットです。小島の要塞は、世界最強といわれていたロシアのバルチック艦隊に関門砲台が突破された後、この海峡で食い止め京阪神地区には侵入を許さない、という悲壮な構えで伊藤博文内閣が造らせた要塞です。赤レンガの弾薬庫、地下兵舎、砲台その他がほぼ原型で残っています。 小島の要塞跡→ (マウスを当ててみてください)→ |
![]() 造船の町今治 (マウスを当ててみてください) ![]() |
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| 南北朝時代には、南朝方の拠点が南東部国分山城、世田山城にあり太平記にも登場しています。 豊臣時代は、時の領主福島正則の元へ秀吉の追っ手から逃れて、千利休の弟の宗味と、その妻子が来ました。許された後もその息子次郎左衛門は今治にとどまり、大山祇神社の大祝の姫と結婚をし、土地を開拓して大地主となり、後に今治城築城の時には地元の有力者になっており、人夫の宰領として働いています。 今治城は、築城の名手藤堂高虎が、関ヶ原の合戦の戦功により20万石城主として入府し、持てる力全てを注ぎこんで築いた日本初の正方形の城郭です。 |
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![]() (↑マウスを当てると工事時の画像になります) 戦略的にも築城的にも日本初をたくさん持つ技巧に満ちた城です。江戸城の試作の築城ともいわれ近世城郭の原型ともいわれています。平成19年9月に、枡形虎口(日本初の枡形の門)の復元が完成しました。。 |
![]() 今治キリスト教会跡 |
明治維新を迎えた今治は、明治12年に四国最初のキリスト教会(初代牧師は、横山時雄牧師であり、その従兄弟の、若き徳富蘆花が2年ほど滞在している。彼の作品の中に今治が登場している。)が設立されました。それはキリスト教が、客であった武士が没落したために、商売が成り立たなくなって困窮していた商人たちの心をつかみ、短期間に多数の信者が生まれたためでした。 7年間に400人の信者が生まれました。この世界的な布教成果に世界中の先進国から近代産業、科学、教育を持った宣教師たちがたくさん派遣されてきました。四国初の貿易港、綿ネル、タオル、造船、その他近代産業が今治に、いち早く生まれました。(現在もタオル、造船日本一を誇っています)今治を窓口に四国にシャワーのように文明が広がったといわれています。 |
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![]() 大山祇神社 (マウスを当ててみてください) |
島嶼部には、能島、来島、因島、三島(さんとう)村上水軍城跡と、その足跡に海の兵の夢を訪ねることができます。日本総鎮守の大山祇神社(大三島)には義経、頼朝他、時代の武将たちが奉納した鎧、兜、太刀等の武具を多数奉納しており、その数は全国で国宝、重要文化財に指定されているもの八割に達するともいわれています。 |
![]() 綱敷天満宮 (マウスを当ててみてください) |
![]() 日本一小さい野間馬 (野間馬ハイランド) |
その他、菅原道真公ゆかりの綱敷天満宮や日本一小さい馬(野間馬)の牧場、瀬戸の海を見ながら入る絶景の湯の浦温泉や、森林浴を楽しめる鈍川温泉など、たくさんの観光スポットがあります。 ←左画像は成馬です |
![]() 道真公が衣を干したといわれる衣干岩 |
![]() 瀬戸内の穏やかな海 |
![]() 潮流体験 (マウスを当ててください) |
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![]() サイクリングも歩く事も出来る大橋 (マウスを当ててみてください) |
![]() 夕暮れの造船所 |
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![]() 藩主の墓 |
![]() 朝倉タオル美術館(マウスを当ててください) |
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![]() 菊間瓦館(瓦作り体験できます) |
![]() 所ミュージアム(大三島) |
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| 観光名所・・・・・・しまなみ海道大橋 今治城 大角海岸 波止浜港 海山城 来島 小島 大島(村上水軍博物館他) 大三島(大山祇神社他) 愛媛文花館 日本食研見学(要予約) 藩主の墓 四国八十八ヶ寺(うち六ヶ寺) 綱敷天満宮 湯の浦温泉 鈍川温泉 玉川美術館 タオル美術館 野間馬ハイランド 石塔めぐり(野間地区) 藤山公園(妙見山古墳) 菊間瓦館 その他・・・
ガイド・・・・・・・・今治観光ボランティアガイド 今治地方観光協会 TEL 0898-22-0909 (要予約) (実家の父母もボランティアガイドしています )(*^_^*) |
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